怠惰に生きるようになれば人間の心は病む 施設症とは?
人間は油断すると「楽していきたい」という考えが生まれてきます。
これは庭に雑草が生えて来るのと同じです。
「雑草取り」つまり除草作業がこまめに行われている状態を、綺麗であると定義できます。
人間の心も庭と同じように、放置しておけば雑草が生えてきます。
雑草取りは大変です。
毎日、定期的に行わないとすぐに雑草が生えてきます。
部屋の掃除や庭の手入れも、「自分で行うこと」でより良い部屋にしたいとか庭にしたいと思うようになります。
しかし、掃除や手入れを他人にやってもらっていたらどうなるでしょうか?
いざ、自分でやらなければならくなった時、その人は自分でできるでしょうか?
できませんね。
その結果、「ごみ屋敷」「荒れた土地」になってしまうのです。
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この世界は、万物が流転するように作られています。
古い物は壊れ、廃れていき、新しい物が生まれるようになっています。
「自己管理していかないと、状態を維持することができない」ような法則があるのです。
自分の性格や行動をそのままにしておいたら、どうなるでしょうか?
雑草が生い茂り、虫や野良猫、カラスが集まってきてもともと庭だった土地が「荒地」になってしまいます。
その荒地で花を育てたり、野菜を作りたいと思えるでしょうか?
長期入院による施設症とは、その人の問題や性格を放置したまま、看護師や介護が身の回りの世話をし続けます。
代理行為と呼ばれるように、買い物や外出までも、その人の決定権を他人が代行するようになります。
「自分で考え、自分で行動する」という自己決定と、「自分の庭を掃除、手入れする」という、自己管理の2つの能力を奪っていくのです。
10年、何もせず病院の中で生活してきた人が、自己決定と自己管理ができるようになるためにはどれくらいの年月が必要だと考えますか?
最低でも5年はかかるだろうし、下手したら10年以上かかるかもしれません。
そして、十分に自己決定、自己管理する能力を身につけずに退院したりすればどうなるでしょうか?
「再入院できる」という逃げ場があれば、社会で問題を起こして、回転ドア現象のように、病院に舞い戻ってきてしまうでしょう。
そうでもなければ、自殺するか、ホームレスになるか、窃盗や強盗をして刑務所で生活しようとします。
精神科看護に必要とされることは、病気や症状を治すことやコントロールすることではありません。
どのような状態でも、自分の人生を自己決定し自己管理する力を身に着けてもらう援助です。
人生の自己決定と自己管理ができない看護師が、他人の援助などできるはずありません。
ですから、精神科看護師は、人生とは何か?人間とは何か?について明確な答えを持っていなくてはいけません。
ところが世の中を探し回っても人生や人間について答えがありません。
日本という社会が、神を否定し、神と人間が愛しあう方法を説く方法論「宗教」を排除し、人間をどこまでも堕落させ、悪魔に近づいていくような方法論を「宗教だ」と欺かれ続けてきたからです。
精神科看護が分からないのは、「人間が分からないから」「人生の目的が分からないから」「人間の幸福とは何か?がわからないから」です。
ダイエットや健康づくりのために、何年かぶりににスポーツをすると「思うように動けない」ことに落胆したり翌日以降に「筋肉痛になり辛い思いをする」ことがあります。
そして、「やっぱりスポーツするのやめよう」という怠惰な考えがでてきてしまいます。
この「怠惰な気持ちに打ち勝つこと」によって、望むものが手に入れられるのです。
人生もスポーツも、自己決定することと自己管理を絶えず行うこと、その負荷を上げていくことが共通するのです。
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